歴史

アメリカ建国の歴史に大きく貢献したマサチューセッツ州。
その始まりは、イギリスから渡ってきたピルグリム・ファーザーズの入植でした。常に時代のリーダー的存在であり続けた背景には、新天地を切り開いてきたパイオニア精神が息づいています。

イギリス移民たちの入植

1620年9月6日、106人の清教徒(ピューリタン)がイギリスの南西にあるプリマスからメイフラワー号で大西洋を渡り、信仰の自由を求めて新世界を目指しました。上陸地をプリマスと名付け、ネイティブアメリカンであるワンパノアグ族(Wampanoag)の廃村に入植。さまざまな困難を乗り越えてこの地に定着し、植民地生活を確立させていきます。
ピルグリム・ファーザーズ(巡礼者父祖)と呼ばれるこの一団の成功により、イギリスからの移民が増加。植民地はプリマス周辺へ広がり、ボストンなどの街が築かれました。イギリスからの初期の入植者が、アメリカ建国の祖となります。

アメリカ独立へ、戦いの舞台

ピューリタンが新世界に降りたって1世紀を経る頃には、イギリス本国が課税強化などを図り、植民地支配の圧力を強めていきます。この圧政に苦しめられた入植者が反旗を翻し、抵抗運動が展開されました。その舞台になったのが、ボストン。18世紀初頭には貿易で栄え、全米第2の都市に成長していたボストンには愛国の志士が集い、1773年に起こったボストン茶会事件をきっかけに抵抗運動が激化していきます。
1775年4月、レキシントン・コンコードの戦いで独立戦争が勃発。翌年にはイギリス軍がボストンから撤退し、1776年7月4日、北アメリカの13植民地の代表による大陸会議でアメリカ独立宣言が採択され、その後間もなくボストン議会議事堂で独立宣言が行われました。1780年にはマサチューセッツ憲法を採択。1783年のパリ条約で正式にアメリカ合衆国が発足し、1788年にマサチューセッツは6番目の州として合衆国に加盟しました。

差別撤廃と繁栄の時代へ

19世紀に入ると、紡績工場などを筆頭に、マサチューセッツ州は産業化のリーダー的存在として経済発展を遂げます。18世紀中頃には開通していた商業鉄道に、新たな路線を加えてボストンまで結び、西部地域の穀物をボストン港に集積してヨーロッパへ輸出しました。ボストンは当時、貿易港としてだけでなく、経済、法律、医学、教育などの分野でも中心的な役割を担っていました。
この頃、奴隷制度廃止運動も活発化します。1783年には奴隷制度が非合法であると宣言していたマサチューセッツ州は、奴隷制度廃止運動の中心でした。1832年、ウィリアム・ロイド・ガリソンがニューイングランド奴隷制度廃止協会を設立。さらに廃止運動の機運が高まり、南北戦争へと発展していきます。
南北戦争終結から20世紀初頭にかけて、マサチューセッツ州の産業経済は繁栄を極めます。州内の工場ではさまざまな製品を生産し、ボストン港は貿易や漁獲取扱量でますます重要な地位を確立しました。

学術都市としての発展

1929年の世界大恐慌や第2次世界大戦など、時代が暗い影に覆われるに従って、マサチューセッツ州の景気も後退期に入ります。この不況は、マサチューセッツ州の経済に変革をもたらしました。衰退した製造業に変わって、サービスやハイテク産業が台頭し、やがて近代産業創設に向けた研究施設が設立されます。同時に、教育水準が上がり、近年では教育とハイテク産業の中心地として発展しました。
アメリカ最古のハーバード大学をはじめ、マサチューセッツ工科大学など、高水準の教育体系と上級大学が集まり、教育や研究活動が熱心に行われています。100を超える単科・総合大学を有し、政治や法律、技術、医療、芸術、音楽など、あらゆる分野に優秀な人材を輩出し続けています。

トピックス

  • 感謝祭(サンクスギビングデー)/1621年:ピルグリム・ファーザーズがワンパノアグ族と一緒に、収穫に感謝してプリマスで開催。
  • ボストンコモン/1634年:アメリカ初の公共公園。
  • ボストン・ラテン・スクール/1635年:アメリカ初の公立学校。
  • ハーバード大学/1636年:アメリカ初の大学。ハーバード・カレッジとして創設。
  • 奴隷制度の非合法宣言/1783年:アメリカ初の大学。ハーバード・カレッジとして創設。
  • パブリックガーデン/1859年:アメリカ初の植物園。
  • 地下鉄/1897年:ボストンで開通。
  • バレーボール/1895年:ホリオークで考案。
  • バスケットボール/1891年:スプリングフィールドで考案。

ページの上に戻る