ボストン北部

独立戦争や魔女狩りなど興味深い街が点在

ボストン北部では、独立戦争発端の街レキシントン、19世紀の文豪ゆかりの街コンコード、中世の魔女狩りで名の知られるセーラムなどが主なハイライトになります。レキシントンでは建国の歴史に触れ、コンコードでは文学ゆかりの場所巡りを。セーラムでは魔女博物館やピーポディ・エセックス博物館、七破風の家などが見どころとなります。

以下より地図がダウンロードいただけます。
ボストン北部広域地図ボストン北部詳細地図(PDF)

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アクセス・市内の交通

ボストンからレキシントンやコンコード、セーラムへは、マサチューセッツ湾交通局(MBTA)が運営する地下鉄やコミューターレイルでアクセスできます。
レキシントンは地下鉄レッドラインでAlewife駅下車、そこからバスに乗り換えて所要約60分。
コンコードはコミューターレイルFitchburg線コンコード駅下車、所要約40~45分。セーラムはコミューターレイルRockport/Ipswich線セーラム駅下車、所要約25~35分。

みどころ(ボストン北部)

セーラム魔女博物館

1692年、セーラムの街で実際に起こった魔女狩りのシーンを再現した博物館。少女が発した怪しげな言葉から、セーラムの魔女狩りが始まったとされています。ヨーロッパを席巻していた魔女狩りがアメリカに飛び火し、セーラムで魔女裁判が行われました。180人もの人々が嫌疑にかけられ、19人が絞首刑にされたといわれています。その当時、パニックに陥った人々や魔女裁判などを、ロウ人形を使った芝居仕立ての13シーンで解説。17世紀に人々を恐怖に陥れた魔女狩りの様子を知ることができます。

ピーボディ・エセックス博物館

海に関するコレクションに加え、日本の江戸後期と明治初期の所蔵品で有名な博物館。ミュージアムギャラリーでは、船首の飾り像を一堂に集めた珍しいコーナーがあります。船の守り神として飾られた女神像が一角を占める様は圧巻。絵画や模型、航海用の地図、捕鯨用具など、海に関するコクレクションを見学することができます。

大森貝塚を発見し、ボストン美術館東洋美術部門に関わったエドワード・モースが集めた日本のコレクションも必見です。江戸後期と明治初期の美術品や生活用品などが展示され、約3万点が所蔵されています。そのほか、トンガやタヒチ、フィジー、ニューギニアなど、太平洋に点在する島々の展示品もあります。魔除けの面や儀式で使用する衣装など、伝統的なコレクションが満載です。

七破風の家

9世紀の代表的な作家、ナサニエル・ホーソンの小説『七破風の家』の舞台となった館。1668年に建築され、ニューイングランド地方に現存する唯一の17世紀の大邸宅です。7つの切妻屋根を持ち、複雑な構造の内部はガイドツアーで見学することができます。小説の謎解きをしながら、開かない扉や細い不気味な階段を登ってみるのも興味深い。家具調度品も17世紀当時のオリジナルが多く、博物館のような佇まい。敷地内には、1655年築のリタイア・ベケット邸、1682年築のハサウエイ邸、ナサニエル・ホーソンの生家などがあります。

みどころ(メリマックバレー)

レキシントン

1775年4月19日、レキシントングリーンで独立軍の農民兵(ミニットマン)とイギリス軍が衝突。これが、その後8年に渡る独立戦争の発端となりました。レキシントンは、アメリカ独立へ向けて重要な役割を果たし、歴史にその名を刻んでいます。街の至る所で、その歴史の名残を垣間見ることができます。独立以前の居酒屋や個人邸宅などは、史跡として一般公開されています。 レキシントングリーンには、ミニットマンの像や独立軍の本部として使用された居酒屋バックマンタバーンがあります。市内にはマサチューセッツ州コモンウェルス地区初代知事に就任したジョン・ハンコックが住んでいたハンコック・クラーク邸もあり、ここに“真夜中の疾駆”をしたポール・リビアが駆け込みました。現在では自然に恵まれた緑豊かな美しい街ですが、独立に燃えた志士たちの歴史を今に伝えています。

コンコード

レキシントンとともに、アメリカ独立戦争の発端となった街。コンコード川にかかるオールドノース橋で、独立軍の農民兵(ミニットマン)とイギリス軍が戦闘を開始しました。コンコードは独立戦争の歴史よりも、文学にゆかりのある街として名を馳せています。『若草物語』のルイザ・メイ・オルコット、その父で哲学者のブロンソン・オルコット、ブロンソンとともに「超越主義」を唱えたラルフ・エマソン、『ウォルデン-森の生活』のヘンリー・ソロー、『緋文字』『七破風の家』のナサニエル・ホーソンなど、19世紀のアメリカ文学界を代表する作家が多く暮らしました。

ルイザ・メイ・オルコットは、オーチャードハウスで『若草物語』を執筆。一般公開されている家には、2階にあるルイザの部屋が今も残されています。ガイドツアーに参加すれば、ダイニングルームや居間、父の書斎、台所など、当時の暮らしそのままの館内が見学できます。

エマソンの家は、現在エマソン博物館として一般公開されています。ビクトリア朝風の邸宅で、家具調度品もエマソン生前のまま保存。ソロー、ホーソン、チャイニング、オルコット父娘などが足繁く通い、この家で語り合ったといわれています。そのほか、オルコットやホーソンなども住んだウエイサイド邸、ホーソンが新婚時代を過ごした旧牧師館などもあります。