日本とのつながり

ジョン万次郎、小澤征爾、レッドソックスがキーワード

マサチューセッツ州は、日本とのゆかりも深い場所です。古くは、幕末に活躍したジョン万次郎がボストン南部のフェアヘブンで生活しました。情緒的な指揮でボストン市民に愛された小澤征爾も、30年近くをボストン交響楽団で過ごしています。現在に至っては、レッドソックスで日本人選手が大活躍。州内では、マサチューセッツと日本をつなぐシーンに数多く出会うことができます。

ジョン万次郎

アメリカに住んだ初の日本人

ジョン万次郎こと中浜万次郎は、1827年に土佐国中浜村(現在の土佐清水市中浜)で生まれました。貧しい漁師の子どもとして育ち、14歳の時、漁に出て遭難。無人島へ漂流していたところを、アメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号に救助されました。
時は幕末。幕府による鎖国政策が執られるなか、ウィリアム・ホイットフィールド船長は日本への帰国は危険と判断し、アメリカ本土へと向かいます。万次郎とともに救助された漁師はハワイで下船しましたが、彼はそのまま船長とともにアメリカ本土へ渡りました。息子のように接してくれる船長の世話を受けながら、アメリカでの生活が始まります。

2人の出会いが日米交流の原点

英語はもとより、数学、科学、航海術など技術的な勉強のほか、自由や民主主義など、万次郎はアメリカの文化・価値観を習得していきます。24歳で鎖国中の日本へ帰国。その2年後、ペリー提督の来航により日本は開国を迫られます。その時、アメリカの事情に詳しい万次郎が活躍し、日米和親条約を締結。日本の開国に大きな役割を果たしました。
1860年、日米修好通商条約を結ぶため、使節団の一員としてアメリカを再訪します。日本とアメリカとの交流を図り、架け橋となって尽力した万次郎。ホイットフィールド船長との出会いがなければ、歴史が変わっていたかもしれません。

フェアヘブンは第二の故郷

ホイットフィールド船長が万次郎を伴って帰国したのが、マサチューセッツ州のフェアヘブンです。捕鯨の前線基地として有名だったニューベッドフォード港の近くにある港町。万次郎はここで初めて学校に通い、英語を勉強しつつ、さまざまなことを学びます。
現在でも彼が住んだ船長の家や勉強した学校、訪れた教会などが残っており、それらは万次郎トレイルとして巡ることができます。フェアヘブンは、日本の民主主義と近代化に大きく貢献した万次郎の、第二の故郷ともいえる場所です。

見どころスポット

万次郎トレール

今も現存するジョン万次郎ゆかりの場所を、万次郎トレイルでたどることができます。トレイルの出発はミリセント図書館から。万次郎に関する書物や日本刀などのコレクションが展示されています。
万次郎とホイットフィールド船長が通った旧ユニタリアン教会、ホイットフィールド船長の家、万次郎が一時ホームステイしたイーベン・エイキンの家、英語を習ったアレン姉妹の家、ホイットフィールド家の墓、通った公立学校オールド・ストーン・スクール、海洋術などを学んだ私立高等学院ルイス・バーレット・スクールなどを巡ることができます。
船長の家は2009年、ホイットフィールド・万次郎友好記念館としてリニューアル。
万次郎友好記念館と万次郎トレイルの見学希望者は、事前の予約が必要となります(外観の見学は自由です)。

小澤征爾

タングルウッド音楽祭が転機に

小澤征爾は1935年に満州国奉天市(中国瀋陽市)で生まれ、幼い頃からピアノを学びました。小学生で日本へ引き揚げ、成城学園中学校卒業後、故齋藤秀雄に師事。桐朋学園大学短期大学(現桐朋学園大学音楽部)へ入学し、卒業後の1959年、フランスのブザンソン国際指揮者コンクールで第1位を獲得しました。
フェルベルト・フォン・カラヤンに師事していた小澤征爾は、翌年、ボストン郊外のバークシャー音楽祭(現タングルウッド音楽祭)でクーセヴィツキー賞を受賞。レナード・バーンスタインの目にとまり、1961/1962年シーズンにはニューヨーク・フィルの副指揮者に就任します。1962年にはサンフランシスコ交響楽団を指揮し、アメリカデビューを果たしました。

ボストン響では30年近く指揮

1964年からの5年間、シカゴ交響楽団のラヴィニア音楽祭の音楽監督、同年から4シーズンはトロント交響楽団の指揮者も務めます。1966年にはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を初指揮。1970年にタングルウッド音楽祭の音楽監督に就任、同年から6年間サンフランシスコ交響楽団の指揮者・音楽監督として活動しました。
1973年にボストン交響楽団の第13代音楽監督に就任。以後、アメリカはもとより世界的な評価を高め、ヨーロッパ公演や日本公演など、世界各地で絶賛を博しています。ボストン交響楽団の音楽監督は、2002年まで務めました。1人の指揮者が30年近くも同じオーケストラを指揮することは、世界的にも珍しいことです。それだけ、ボストンと小澤征爾の関係は深いものといえるでしょう。長年の功績が認められ、2008年には文化勲章を受章しました。

見どころスポット

ボストン交響楽団

小澤征爾が30年近く音楽監督を務めたボストン交響楽団は、人気、実力とも全米トップクラスです。
創立は1881年。ゲスト指揮者やソリストも超一流の顔ぶれが参加し、毎年250以上のコンサートを行っています。ボストンのバックベイにあるシンフォニーホールを中心に活動していますが、毎年夏にはタングルウッドに活動拠点を移しています。
夏に訪れるならタングルウッドで、本格的なコンサートシーズンとなる10〜5月にはシンフォニーホールで、心に響く一流の音楽に浸ってみては。

タングルウッド音楽祭

毎年6月末から9月上旬まで、バークシャー地方のレノックスにあるタングルウッドで行われる音楽祭。ボストン交響楽団を中心に、有名な指揮者やソリストが参加し、多数の公演が催されます。
ミュージックセンターをはじめ、日本の財界人の協力によって建てられたセイジ・オザワ・ホールで演奏されますが、建物を中心に広がる芝生席でも充分に公演が楽しめます。
芝生席では、飲み物や食べ物を持参してピクニック気分も満喫。室内楽、合唱、ミュージカル、現代音楽、ジャズ、ポップスなど演目ジャンルは多彩です。

ボストン・レッドソックス

熱狂的なファンを持つ名門チーム

ボストン・レッドソックスは、メジャーリーグのアメリカンリーグ東地区に所属するプロ野球チーム。ア・リーグ屈指の名門チームで、熱狂的なファンを持つことでも有名な球団です。ア・リーグ発足を契機に、1901年レッドソックスとしてボストンに創設されました。本拠地はバックベイにあるフェンウェイパーク。

1903年にはワールドシリーズが開催され、初代チャンピオンに輝いています。1918年までワールドシリーズを5回制覇したものの、以後、86年間優勝から遠ざかっていました。2004年にワールドチャンピオンに返り咲き、2007年にもシリーズ制覇を成し遂げました。 ニューヨーク・ヤンキースとは長年のライバル関係にあり、特に両者が対戦するカードのチケットはプラチナ化しているほど。レッドソックス・ネイション(レッドソックスの国)という言葉があるように、ファンは全米一熱狂的といわれています。

日本人投手の活躍で注目度もアップ

ワールドシリーズ制覇を果たした2007年、松坂大輔投手が入団。ボストン市民だけでなく、日本でもレッドソックスは注目を集めました。松坂投手はメジャー1年目から活躍し、シリーズ制覇に貢献。
そのほか、岡島秀樹投手、斎藤隆投手、田澤投手、上原投手も在籍していました。ボストンでは、全米最古のフェンウェイパークで熱狂的なファンの応援を眺める、そんな観光とは違った楽しさを満喫できます。

見どころスポット

フェンウェイパーク

レッドソックスの本拠地で、1912年に建設された全米最古の球場です。ノスタルジックな雰囲気を残し、古き良きアメリカの伝統を今も伝えています。ボストンのバックベイにあり、アクセスも便利。観客席と選手の距離が近く、試合中の臨場感は鳥肌が立つほど。オフシーズンも含め、球場内を案内してくれるスタジアムツアーが年間を通して行われています。オフィシャルショップで、レッドソックスグッズのチェックもお忘れなく!

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